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国内旅行、一度は訪れたい場所:東北の小京都・平泉

東北の小京都・平泉

  • アドバイス:散歩のつもりで、ゆっくりと歩いて旧平泉の名跡を巡るのが良い。
  • 思い出:松尾 芭蕉の「奥の細道」で有名な平泉は、11世紀後半から12世紀後半にかけて奥州藤原氏が当時はまだ「蝦夷」と呼ばれた辺境の地に「小京都」を築き繁栄を極め、そして100年の間平安を享受した場所として有名である。平泉駅に着きすぐに駅舎を出てみると、その時代の優雅さをどこか残しているような気がした。
平泉駅前

平泉駅前

まず、無量光院跡を訪れると、その跡の小山の周りは穂がまっすぐ伸びた稲の緑に囲まれていた。そして、その京都平等院鳳凰堂に似せて作られていたという荘厳な姿が大きな看板に描かれて寂しく立っていた。今、当時の面影を偲ばせているものといえば、立派な松の木が生い茂る中に発掘された池跡、中島 そして堂礎が残っているだけである。そこは、遙か何百里も離れた京都の華麗な姿を、当時蝦夷と呼ばれてさげすまれた地に再現してみせた奥州藤原氏の栄華を偲ばせている。その奥州藤原氏は、平安時代に京都で栄華を築いた藤原氏の末裔であるが、前九年の役と後三年の役を経て奥州蝦夷地の覇者となり、この地はその支配を行うために選んだ場所であった。そして初代清衡に始まり、基衡、秀衡、泰衡の4代にわたって奥州蝦夷地を治めることになる。やはり、彼らにはどこか京都を懐かしむ気持ちがあったのだろうか、あるいは、その栄華を・・・・・。

 無量光院復元図

無量光院復元図

下は無量光院跡の写真であるが、その昔の面影を偲ばせている。

 無量光院跡地

無量光院跡地

それから、4号線沿いに歩いて行くと高舘の義経堂がある。4代目の泰衡は、平安時代の貴族支配に終止符を打って武士の世の始まりとなる鎌倉幕府を開いた源 頼朝の策略に掛かり義経と弁慶を死に追いやってしまう。そして、自らも頼朝率いる28万の軍の前から敗走し、北海道に逃れる途中、現在の秋田県大館市で部下に裏切られ、梟首(きょうしゅ)されてしまった。こうして、母方の阿部氏や清原氏を滅ぼして奥州の覇者となった奥州藤原氏も、義経と頼朝の骨肉を争う戦いの中で滅ぼされ4代にわたる栄華は 終わり告げることになったのである。いやはや何とも悲しい歴史の一幕である。

全盛期の平泉の復元図

全盛期の平泉の復元図

またすこし歩を進め、中尊寺の参道にさしかかったところで、夏の昼下がりの激しいにわか雨にぶつかり、店屋で雨宿りをした。そして小降りになってから金色堂を目指した。 雨ですっかり濡れてしまった参道を登って行くと、だんだんと侘びしくなって来た。しかし、中尊寺の金色堂を訪れるのにはうってつけのような気がした。金色堂にたどり着くと、案の定、金色堂の辺りも雨ですっかり濡れて、少し靄が立ち籠めていた。その雰囲気は最高である。

金色堂を後にして、奥州藤原氏の夢を理解したような気持ちになりながら参道を少し下ると、登って来る時に見つけていた展望台から眼下に広がる野に衣川と北上川が流れる素晴らしい眺望を見ることができた。

清衡が前九年の役と後三年の役で亡くなった多くの人を悼んで造ったと言われるこの中尊寺の生い立ちのゆえに、参道の鬱蒼とした杉林のどこかで泣いているヒグラシの声がどことなく哀れに聞こえて来ていた。

ここは人生の哀れさを伝えている場所である。「奥の細道」で、芭蕉が感じたことを今もその景色は伝えているような気がした。是非一度訪れてみてください。

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